草刈りって...

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昨日(8/6)琵琶湖のキャンプ場に草刈に行ってきました。
あさ8時集合ということで、昨年11月に買ったばかりのステップワゴンを駆り、当然のごとく10時くらいに現地に到着すると、工程の半分が終了していました。たまたまTけだ先生(仮名)がまだ来てなかったので、遅刻が目立つこともなく、ちょっと手伝って、ビールを飲んで、うなぎを食べて、ビールを飲んで、トンドにあたって、ビール飲んで、「わー」してたら、いいころあいになったので帰ることになりました。

湖西道路は混んでいたので、鞍馬から抜けようと思い、途中から山の中へと進路を変えました。
道は、分岐が多く、地図に描けば、結構複雑な様相を呈するのではないかと言う程でしたが、方向感覚にはかなり自信があるのでしょうか、私は、まるで以前から知っている道であるかのように、不思議と行き止まりで引き返すこともなく、スムーズに車を走らせていました。住宅街を更に山へと入り先を急ぎました。やがて、道幅は徐々に狭くなり、やがてそれは畦道(あぜみち)へと変化して行きました。そして、夜のとばりが山の緑を覆い始めたころ、ステップワゴンを走らせているその道が人里はなれた山奥の墓地の中の一本道であることに、ふと気づきました。

真っ暗な中、闇がそう感じさせるのでしょうか、墓地はかなり広いようでした。その中を貫くように、どこへ続くとも知れぬ真っ直ぐな一本道。その道の先が暗闇に消えようとするその果てに、一筋の希望を垣間見た私は、「えーい、ままよ!」とばかりに、車を更に闇の奥へと走らせました。ヘッドライトが「・・家」「・・先祖・・」「・・代々之・・」などを次々と走馬灯のように照らし出して行く中をどのくらい進んだのでしょうか。ステップワゴンが突然大きく左に傾き、激しい揺れを伴って停止しました。
「英語で言うところのスタックっちゅうやっちゃな・・・。」
心の中の自分が、やけに冷静にそう言っていました。
ハンドルを目いっぱい左に切ってバック。目いっぱい右に切って前進を試みるも、タイヤの焦げ付く匂いがまわりに立ち込めるばかりで、状況が好転するような兆しはありません。

車を降りた私は、ステップワゴンが今どういう状況にあるのかを正確に把握するために、積んでいたハロゲンランプの電源をシガーライターから取り、いろんな意味で勇気を振り絞って車の下を照らしました。
「おお・・・。」
それまでの私が、実は臆病でどれだけ事実を直視しようとしていなかったのかを思い知らされました。
左側の前輪も後輪も、ともに仲良く見事に溝にはまっていました。溝は深く、スイングアームが地面に食い込み、ジャッキ受けの下にはジャッキを入れる隙間もありません。
かろうじてジャッキが入る隙間が空いている牽引用のフックの下に無理やりジャッキを押し込んで、車を持ち上げました。スイングアームと地面との間がわずかにあいたので、転がっている石をそこへいくつか押し込み、ジャッキを抜いて、別の隙間に差し込んで持ち上げ、再び石を押し込みました。ジャッキ受けの下にかろうじてジャッキが入る程度の隙間が開いたので、すかさずジャッキを突っ込み、えんやこらさと車を持ち上げました。そして、そのままの状態で、運転席に乗り込みハンドルを目いっぱい左に切ってバックしました。

ようやく前輪があらわになり、幾ばくかの安堵の内に更にハンドルを右に切って前進し、我がステップワゴンはようやくその重い腰を上げてくれました。
暗闇の中の、Uターンする場所もない一本道を引き返すことに、少しもやぶさかではなくなっている自分に気づき、私は車をバックさせました。やがて、少し広い場所に出たので車をUターンさせ、もと来た道を戻りました。
畦道が舗装路へと変わり、まばらに車も往来する道に戻った頃、第二の悲劇が私を襲いました。まるで何か重たいものを引きずってでもいるかのように、ステップワゴンの進みが鈍くなっていることに気づき、再び車を停め、一回りして懐中電灯で注意深くステップワゴン点検しました。左後輪が見事にパンクしていることに気づくまでに時間は必要ありませんでした。
再びジャッキのお世話になり、いよいよパンクしたタイヤが地面から離れようとしたその時、第三の悲劇が私を襲ったのです。広いとは言え乗用車がすれ違うのがやっとの山道。向かいからどこかの旅館の乗合バスが迫って来るのを見て私は自分の数奇な運命を恨みました。パスの後ろからは3台ほど乗用車が続いています。

再びジャッキアップする気力がないことは、私が一番理解していました。バスの運転手はじめ、旅館の宿泊客や乗用車の運転手らが冷ややかな目で見守る中、私は何も聞こえない、何も見えないふりをして無心にタイヤ交換にいそしんだのでした。このときばかりは、さすがの私も「たたりか」という思いをまるっきり拭い去ることが出来るような心境にはなりませんでした。
タイヤ交換も終わり、何とか京都市街まで戻った私は、
「そう言や、あの墓地に到着するまで一回も道も迷わんかったな。盆も近いことやし、後ろの座席に何人か乗ってはるんやないやろか。8人のりっちゅうのも良し悪しやなぁ。」
とか
「迎え火に間に合わん方々が、『おっ。丁度いいところ来たわ』っちゅうて、脱輪させて乗り込みはったんやないやろか。乗り遅れた人が、パンクさせて『やれやれ、間におうた』とかで、乗らはって・・・」
などと思いながら、そしてたまにルームミラーで後ろのシートに誰も乗っていないことを確認しながら、1号線を家路へと向かいました。

こんなことも、来年のこの時期には楽しい思い出となっているかもしれません。ただ、今はあの時、車の下に入れた石に「・・家」や「・・先祖・・」や「・・代々之・・」等と書かれていなかったことを願うだけです。そう言えば、やけに軽い石があったのも気になるところです。

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